作成日:平成15年7月2日
今年も蔦元流おさらい会「蔦の葉のつどい」が6月15日 鳴門市文化会館で盛大に開催されました。
今年は、蔦元流舞踊研究会が得意とする群舞の踊りを主に楽しませていただきました。
「各々違った動きの中から一つの統一した表現をする、自己を出さず、共に同じ動作をする」など群舞の難しくも楽しみのある趣向に、蔦元流のいつもながらの、踊りにたいするあくなき追求に心洗われる思いで拝見いたしました。
そもそも私と「蔦元流」との出会いは、平成8年10月に私の高校の恩師である 原田繁弘先生(板野町在住)の奥様が蔦元流の弟子であり、舞踊家 檜瑛司さんがお亡くなりになり、門下生一同が、先生が作詞した鳴門市選定の民謡「鳴門ぶし」の歌碑を建立したいので、鳴門市に用地提供の交渉をして欲しいと依頼されたのがきっかけであります。
そこで、鳴門市との交渉にあたり、親しい友人・知人・門下生でつくる「檜瑛司先生頌徳の会」を結成し、
故富田耕作氏に会長をお願いし、「鳴門ぶし」歌碑建立実行委員会から、当時の山本幸男鳴門市長に陳情書をもって、場所提供のお願いにまいりました。
幸い、場所も鳴門市の文化の殿堂、文化会館の入り口に近い場所の提供を受け、門下生一同で建立資金の寄付を募りましたところ、たちまちのうちに建設費が集まりました。
そこで碑には、青石を使い、歌詞の部分は文化会館のどん帳でおなじみの、北斎の「鳴門海峡」をバックに入れた大塚オーミの「陶板」をうえ込む形で、製作を依頼しました。
平成9年1月から製作設置にかかり、完成後5月5日現地で、遺族や門下生ら関係者が200人余り出席し、除幕式を行いましたが、徳島県が誇る偉大な舞踊家を後世に知らせる事業のお世話ができたことは、私にとっても大きな誇りであります。
その後、家元の蔦元可世様からは、毎年催しの招待を受け、時間があれば拝見しておりますが、たしか、檜瑛司一周忌の中で踊られた「京女郎」はあの狭い舞台の中で、幻想的な雰囲気を演出され、今でも脳裏に焼き付き、それ以来蔦元流のファンになってしまいました。
また、家元をはじめ、二人の娘さん・門下生の皆さんの、檜瑛司さんの残されたものを継承しようとする気持ちと、新しいものに常にチャレンジしようとする姿(次女の唐崎千尋さんは洋舞でも活躍中と、新聞でたびたび拝見)に心打たれるものがあり、その活躍が大変楽しみであります。
なお、お世話をしている中で知ったことでありますが、檜瑛司先生の兄である檜健次氏は、鳴門西尋常小学校の教師として赴任中、私の父のいとこである橋本トモエ と結婚をしていたこと(早くに亡くなったとのこと)、高島の昌住寺の檀家であり、高島に縁の深かった事など、私がお世話できたのも何か因縁を感じます。
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| 鳴門ぶし 鳴門市選定 唐崎瑛司 作詞 中山晋平 作曲 蔦元可彌 振付 旅の千鳥も 旅の千鳥も かもめも来んせ ヨイトサ ヨイトサット 阿波の鳴門にゃ チョイト渦が巻くヨ ヨイトサ ヨイトサット (以下囃子同じ) 男伊達者の 男伊達者の 藍染浴衣 ぞめきばやしで チョイトひとおどりヨ うちの兄にゃは うちの兄にゃは 鳴門の瀬戸で 渦にもまれて チョイト鯛を釣るヨ 誰になびこと 誰になびこと 塩焚く煙 ままよ南風 チョイトタコの風ヨ 里の尼塚 里の尼塚 十日のよさは 沖にほのぼの チョイト夫婦岩ヨ 踊り踊らば 踊り踊らば 鳴門で踊れ 渦が音頭とる チョイト拍子とるヨ |
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